「地下迷宮に眠る謎2020」の開催を記念して、2月1日(土)~4月30日(木)の期間限定で、
東山線、名城・名港線の各1編成列車内に、よりふかく名古屋の街に詳しくなれる、12種類の名古屋検定問題を掲出!
謎を解き明かすと、”マジで?!”情報の詳細をゲットすることができます!
電車に乗りながら、誰でも簡単に参加することができるので、通勤・通学時間やお出掛けに行く際、ぜひ挑戦してみてください!
名古屋人でも知らないような”マジで?!”情報をゲットし、名古屋の街をマスターしよう!
キャンペーン期間:2/1(土)~4/30(木)
名古屋駅と名古屋城のほぼ中間にある円頓寺商店街は、2015年にパリ最古のアーケード街である「パッサージュ・デ・パノラマ」という商店街と姉妹提携をしている。秋には円頓寺 秋のパリ祭が開催され、音楽、料理、ワイン、お菓子などを楽しめるそうだ。
日本で初めて「職業野球」=プロ野球が行われたのは、名古屋市緑区にあった鳴海球場と言われている。昭和2年に建設された鳴海球場は、東の神宮、西の甲子園に並ぶ三大球場として親しまれていた。ちなみに初めての試合は、当時名古屋を本拠地とした金鯱(きんこ)軍対巨人軍戦。勝利したのは金鯱軍だった。ちなみに鳴海球場は昭和33年に閉鎖となっている。
日本一短い路線は、平安通駅と上飯田駅の二駅だけをつなぐ上飯田線。その距離、わずか800m。地下鉄としては短いが、上飯田駅から先は名鉄小牧線と接続をしているので、小牧線沿線の人たちにとっては重要な路線なのだ。
名古屋の公園でよく見かける富士山型の滑り台は名古屋市職員が設計したと言われている。もともとは富士山を意識していたわけではないが、その見た目から富士山滑り台と呼ばれるようになったのだ。第一号は吹上公園に存在するから遊びに行ってみては?
その場所は円頓寺商店街と円頓寺本町商店街の間にある交差点。名古屋にゆかりの深い三英傑が揃って見られる場所がなかなかないのは、寂しいと考えた地元の不動産会社の社長さんが、地域のために寄贈した。ちなみにあと1体分置ける場所があったため、そこには水戸黄門が立っている。理由は「水戸黄門が好きだったから」。
台湾ラーメンは台南名物の担仔麺を元に作られた賄い料理が起源であると言われている。台湾人の料理人が、日本人の友人に担仔麺を食べてもらおうと作ろうとしたが、うまく行かず、自身が辛いものが大好きだったため辛くアレンジした結果生まれたそうだ。その後「名古屋ラーメン」として台湾に逆上陸。ちなみに、台湾には坦々麺などの辛い麺料理は存在したが、台湾ラーメンのような激辛ラーメンは存在しなかったとか…。
日本で一番多い苗字の1位は佐藤、以下鈴木、高橋、田中…と続く中、加藤は全国10位に多い苗字(2019年現在)。歴史的に言うと2つの説があり、1つは鎌倉時代の武将・加藤景廉(かげかど)が岐阜周辺を治めていたからという説。もう一つは、安土桃山時代に岐阜周辺で陶工していた加藤景豊(かげとよ)、加藤景光(かげみつ)兄弟の子孫が増えたという説。確かに、言われてみれば知り合いに加藤さん多くないですか?
伏見駅と丸の内駅の間に位置する「長者町繊維問屋街」。その名の通り、繊維関連の問屋さんが集まった日本三大繊維問屋街の一つ。現在では小売をしてくれる店も多くあり、手芸用品などを安く手に入れられる町になっている。そんな長者町が愛知トリエンナーレの会場になったこともあり、現在は様々なシャッターペイントやウォールアートが見られる場所になっている。ただし、それが楽しめるのは問屋さんが店じまいしているときだけ。そう、だから土日でなくてはいけないのだ。
金山駅と鶴舞駅の間、JR中央本線高架下にはアンティーク屋が立ち並ぶ施設が存在する。懐かしのアイテムからドラマや映画でしか見たことのないレトロなアンティークまで。様々なものが所狭しと並んでいるのだ。看板をメインとして扱っているお店は明治・大正・昭和時代を舞台にした映画の小道具として貸し出しているんだとか。
今、ブームになっているサウナ。実は名古屋には、サウナ愛好家たちに絶大な支持を受けているサウナが多数ある。特に人気なのが「フィンランド系」。サウナというと熱い空間の中、汗をダラダラと流すイメージだが、フィンランド系はじんわり低温で木の香りを感じながら楽しむので、初めての人でも利用しやすい。とある店舗では、体を冷ますのに水風呂ではなく、―25℃の極寒サウナが用意されているところも?!
1957年3月、日本で初めての地下街が名古屋駅の地下にある「サンロード」。名古屋は戦後、自動車を優先とした都市整備がされたことで、車の流れを止めないようにと、地下に人の歩く道が広がっていった。その結果生まれたのが、現在の「地下迷宮」。さぁ、あなたも「地下迷宮に眠る謎2020」と共に、この迷宮に迷い込んで、名古屋の新しい魅力を見つけてみませんか?
LED信号機が導入されたのは、平成6年7月。ただし、3色の信号機ではなく、付随されている矢印式信号機の方。西日や夕日など強い光が当たったときに見えにくい問題を解決すべく導入された、とのこと。今までは全国の信号機の約50%がLED信号機になっているそうだ。