アジトオブスクラップ鹿児島に泊まっている。雨の音がすごい。

2011年春、リアル脱出ゲームのお店をやるけど、店長やってみる?と誘ってもらった。

後も先も考えず、やります。と即答した。楽しそうだったから。

翌週くらいにはGUNKAN東新宿の契約に行った。

当時初台にあった事務所を出て、昼休み時の、びしっとスーツを着た、ちゃんとした人生をおくっているであろうまっとうな会社員であふれる西新宿を抜け、ひとりで契約に行った。まだバイトだった自分が、なんか重要なハンコとか書類とか、そういうの全部持たされて、短パンで向かった。

よくわからない不動産の説明を延々されて、本当に押してもいいのかわからない契約書のあちらこちらに大事そうな判を押し、右も左もわからないまま店のカギを受け取った。

店と言ってもドアを開けたらからっぽの、コンクリートむき出しの、見事なまでにスケルトンな状態の一室だった。

その足で本屋にかけこんだ。当然「リアル脱出ゲームのお店の経営方法」なんて本が置いてあるはずもなく、カフェを出すための本、とかなんだかんだ、それとなく近そうな本をすがるようにめくったが、特に得るものもなく、その時はじめて、あれ、どうしよう。って思った。

わけのわからないお店の店長になってしまった!

2011年秋、上海にも店つくるから、そっちで店長やりなさい。と言われた。

後も先も考えず、やります。と即答した。楽しそうだったから。

この時はさすがに社長もちょっとびっくりしていた。ほんとにいいの?って言われて、行きたいです。って言った。結局店長にはならなかったけど2012年の始め、上海に海外初のアジトができた。

上海から帰って来るとすぐ、100人規模のお店もつくるから店長やる?と聞かれた。

もちろん、やります。と即答した。楽しそうだったから。

そうして2012年の春には原宿に100人規模のヒミツキチオブスクラップができた。

同時期に京都にもアジトオブスクラップができた。国内2個目のアジトだ。

2012年の夏には東新宿のアジトで「ある牢獄からの脱出」がスタートした。

2012年の秋、今度はサンフランシスコにアジトつくるよ。と言われた。で、できた。台湾にもできた。

2013年の始め、東新宿のGUNKANマンションにもう一室借りて「時空研究所からの脱出」ができた。

同時期に、一カ所で何個もアジトが遊べるお店「ナゾビル」の計画が持ち上がり、渋谷にも物件を借りた。「地下アンティークルームからの脱出」ができた。そうしてナゾビルには5月に「魔法の部屋からの脱出」11月に「十人の憂鬱な容疑者」ができた。ナゾビルが国内3つめのアジトオブスクラップになる。

2013年9月博多に4つめのアジトができた。9月はその他に台湾のパズルルーム、北京の時空研究所もできた。

2013年10月タイトーとタッグを組んだ「リアル脱出ゲームセンター」が横浜の新高島にオープン。11月には博多にもオープンした。リアル脱出ゲームセンターは、タイトーさんと一緒につくるアジトだと思っている。こっちも続々増やして行きたい。

2013年11月、サンフランシスコに時空研究所ができた。サンフランシスコ2個目のアジトだ。

2014年1月名古屋に5つ目のアジトができた。

2014年3月仙台に6つ目のアジト、3つ目のリアル脱出ゲームセンターができた。

そして2014年4月、東新宿では「ある牢獄からの脱出2」がスタート、岡山に7つ目のアジト、静岡に4つ目のリアル脱出ゲームセンター、鹿児島に8つ目のアジトができた。

わけのわからないお店の店長になってから3年経った。

最初の目標は、とりあえず物件の契約期間の2年を、黒字で終わらせることだった。正直2年も続かないだろうと思っていた。それが今、東京から遠く離れた鹿児島の一軒家で、この3年を振り返っている。

僕には唯一、人より長けていると自負している能力がある。それは人に助けてもらう能力、である。

学生の頃、いろんな国を旅していた時、

インドでは日焼けを心配した通りすがりのインド人が病院に連れて行ってくれるし、

マレーシアではうっかりパスポートを見せずに税関を通り抜けてしまい、銃を向けられているところを関西弁のおばちゃんに助けられるし、

ケニアでは町中で銃声がすぐそばで響き立ちすくんでいると、道に停車していたタクシーに「乗れ」と促され、泊まっているゲストハウスまでなぜか無料で送り届けてくれたし、

どこの国でも歩いているだけでやたらと食べ物や飲み物の施しを受けるのである。

みすぼらしいのだろうか、見た目がかわいそうなのだろうか、とにかくほんとうに、頼んでもないのにありとあらゆるものをおごってもらって来た。

ラオスではバスで隣になっただけの人の結婚式に招待されて、なんだか盛大にもてなされたこともある。

この助けてもらう能力がアジト店長になってから存分に発揮され、今の今まで、自分の力でなし得たことは何ひとつないと言っていい。

ほんとうに沢山の人を頼っては助けられ、迷惑かけては助けられ、気づけば今、鹿児島にいる。

岡山と鹿児島のアジトが流行るといいな、と思っている。

岡山と鹿児島の人たちが、閉じ込められに来て、脱出したりできなかったりしたあとは、閉じ込める側になって遊ぶ。ということが日常になるといいなと思う。

リアル脱出ゲームに参加したことがある人なら誰でも一度は「大人でもこんなに夢中で遊べるんだな」って思ったことがあると思う。

アジトオブスクラップは、10人だけのお客さんと、ほんとうの密室で一時間一緒に過ごすので、格別にお客さんの楽しさが伝わって来てスタッフもとても楽しい。

いろんなところで繰り返し言っていることなのだけれど、日本全国47都道府県、全部にアジトができて、その町の大人たちの遊び場になってほしい。

いや、子どもも大人もお年寄りも、その町の人みんなが遊んで、そのあとはその町の人みんなでその町のアジトをつくっていってほしい。

その試金石となるのが岡山と鹿児島だ。

正直今はまだ、あんまりチケットが売れてない。まだこの町の人たちがリアル脱出ゲームそのものをあまり知らないのだから、そりゃそうだ。

でも、なんというか、全然心配していない。楽しいアジトができたぞ。という自信があるからだ。

岡山と鹿児島の店長が猛烈にがんばって、東京と京都のアジトスタッフが謎の部屋をつくりあげ、自分たちで頭をひねってPR活動もしてくれている。

オープンしてしまえば、閉じ込められるのも、閉じ込める方でも、絶対に楽しく遊んでもらえる自信がある。

雨がさらに猛烈に降って来た。アジトオブスクラップ鹿児島、あと12時間でオープンします。

岡山と鹿児島のアジトが、東京の時みたいに、思いがけずこの先何年も続きますように。そして全国に、全世界に、アジトオブスクラップができて、みんなで遊べますように。